どうせ死ぬなら!人生はなるようになる的な考え方

気楽な人がお気軽と書かれた風船で遊んでいる




こんにちは、当ブログにお立ち寄りいただきありがとうございます。

僕は、数年前に挫折を味わいました。

屋根工事業を15年務めたのですが、社長と喧嘩をして辞めてしまいました。

その後、独立をしたのですが軌道に乗らず、現在は派遣社員として働いています。

給料は安い、やりがいもない、仕事仲間もできない・・

「俺はこのままでいいのか?」そんなことを毎日思っています。

だからと言って、どうしていいいか分からない!

しかし、僕のこんな感情も「死をベース」に考えてみると、ちっぽけなもの。

人は遅かれ早かれいつかは死ぬわけで、これは唯一未来で分かっていることです。

というわけで、この章では「どうせ死ぬなら」をテーマに考えていきましょう。

どうせ死ぬなら

あなたは「死」というものを、どう捉えていますか?

人は死んでしまうと「無」になるのか、それとも体は滅びても、魂は生き続けるのか・・

どちらにしても、いくら考えても仕方ないですよね。

僕は人は死んでも魂は生き続けると信じています。

なぜなら、そうでも考えないと、生きている意味がないから。

好き勝手やって生きていても「無」になるのなら好き勝手やって生きたほうがいいに決まってます。

人は時に生きる意味を知りたがりますが、いくら考えても答えなど出ません。

ですので「死」とはその人なりの解釈でいいのです。

どうせ死ぬなら良くも悪くも同じ

「良くも悪くもおわっていくから別にそれでいい」

これは、僕の父がいっていた言葉です。

そういわれてみれば、確かにそのとおりですよね。

あなたが心の病気で苦しみ、つらい思いをしていても、その場はおわっていきます。

あたり前のことですが、過去を振り返ると、それでも生きてきたから今日があるわけで・・

そして、またその場はおわっていき、最後には死ぬわけです。

「どうせ死ぬなら」と意識してみる

あなたは死ぬことが怖いですか?

僕は確かに怖いですけど、どうせ死ぬなら健康寿命で死にたいですね。

それは息をしているだけでは生きているとは考えにくいからです。

確かに「生きてるだけでまる儲け」かもしれませんが、「息る」と「生きる」では意味が違います。

我々人間、この世のあらゆる生物は「どうせ死ぬ」これはどうあがいても避けられないことです。

ですので、どうせ死ぬなら充実した日々をより多く過ごしたいものですね。

しかしそれが、なかなかむずかしいといいますか、充実した日が少ないと感じてしまうのです。

それでも、どうせ死ぬを意識してみると、充実しててもしていなくても別に気にならなくなります。

どうせ死ぬなら大丈夫

自分の思う人生を好きに生きたらいいとか、他人と比べたり、他人の声を気にする必要はないといわれても、それができないから苦しんでいるわけです。

それができれば人生ハッピーだらけです。

僕は社会不安障害でもあり、うつ病とも診断されています。

僕自身、やる気がまったくなくなったり、突然消えてなくなりたくなるときがあります。

そんなとき、「これがうつ病の症状なのかな?」と思いますけど、どうなのかよくわかりません。

そして死にたくはないけど消えたいと思ってしまいます。

これって矛盾していますよね・・

でも、そんなときは「どうせ死ぬなら大丈夫!」と自分に言い聞かせています。

どうせ死ぬなら淡々と生きる

他人と比べて感情をゆさぶられることって、本当に意味のないささいなことで、それで苦しんだり、喜んだりする必要はないのに他人と比べてしまいます。

それでも、どうせ死ぬわけだから淡々と生きればいいのです。

けっきょく人間が決めた価値判断の基準の中で生きているにすぎないわけだから・・

たとえば、あなたがうらやましいがるような人でも、その人が今日死んだとしたらどうでしょう?

明日あなたが生きていれば、そっちの方がよくないですか?

どうせ死ぬならという言葉で人生を楽にする

僕はどうせ死ぬならという言葉で人生を楽にするようにしています。

できれば無駄に生きたくないですし、基本的にはやりたいことはやります。

言いたいことをいう時は自分が間違っていないと思う時で、やりたくないことはなるべく避けます。

また、自分が死んだらどんな世界があるのか興味があります。

あと僕は社会不安障害でうつ病ですけど、別に不幸ではありません!

眼はみえますし、耳も聞こえますし、言葉もしゃべれますし、自分で歩けますし、多少は笑えますし、多少は泣けますし・・

だから僕もあなたも不幸ではありません!

最終的に行き着く先はみんな一緒ですから、そんなものなんです。

そして「どうせ死ぬなら」人生はそれまでの、ストーリみたいなものです!

まとめ

「どうせ死ぬならなんでもやってやる」という言葉を耳にしますが、僕は別になんでもやる必要はないと考えます。

ただ、死をベースに考えてみることで、あなたが今苦しくてつらい思いをしているのであれば、それはただの通過点にすぎないだけです。

死をベースに今の自分をみると、自分のことなのに人ごとのように思える時がたま~にあるのです。

たとえそんな感情がうまれなくても、せめて「どうせ死ぬなら」とつぶやいてみましょう。




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です