プロフィール

管理人 ひびきのプロフィール

はじめまして。当ブログ管理人のひびきです。

当ブログに起こしいただき、ありがとうございます。

 

さて、早速ですが僕は社会不安障害という病気です。

 

以前は、対人恐怖症とも呼ばれていたようですが、

そのために僕は、人前を恐れ、多くの恥もかいてきました。

 

そこで、まずは社会不安障害で苦しんできた僕自身の体験を中心に詳しくお話しします。

 

社会不安障害とは

社会不安障害とは、

特定の状況や人前で何かをする時に、緊張感が高まって不安や恐怖を感じ、

日常生活に支障をきたすようになる病気です。

 

言い換えると、病的な極度のあがり症のことです。

 

社会不安障害は、Social Anxiety Disorderを略してSADとも呼ばれています。

発症の原因はまだはっきりとは解明されていませんが、脳内の神経伝達物質であるセロトニンなどのバランスが乱れて、不安を誘発しているとの説や、恐怖や不安に関与する脳内の扁桃体が過剰に反応しているのではないかとの説があります。

 

セロトニンとは、

脳内の精神を安定させる作用がある神経伝達物質です。

 

また、人前で恥ずかしい思いをした経験が引き金になったという報告もあります。

遺伝と思われる症例はごくわずかです。

 

僕が社会不安障害を発症したきっかけ

緊張してドキドキしている男性のイラスト

 

僕が社会不安障害を発症のきっかけは、

高校3年の国語の授業で本を読まされた時です。

 

それまでは、

本を読まされるくらいで緊張することはなかったのですが、

この時は違いました。

 

なぜかめちゃくちゃ緊張して、

声が震え出なくなってしまったのです。

 

まるで喉に石が詰まったかのように。

 

この時は学生時代で最大の危機と言いますか、

恥ずかしいという気持ちでいっぱいになりました。

 

周りの奴らはどうしたんだ?みたいに見ているし、

「それはこっちが聞きたいよ!俺はどうしてこんなに緊張してしまったんだ?」という心境でした。

 

それから、症状はどんどん悪化していき、

特に国語の授業の時は不安と恐怖で、

本を読まされることを避けるために授業をさぼったりするようになりました。

 

そんな毎日だから、

学校に行きたくはなくなり、

とにかく早く卒業したかったです。

 

 

僕が社会不安障害という病気を知ったのはある日、

何気なく見た新聞に社会不安障害のことが書かれていて、

僕の症状とほとんど一致していたからです。

 

僕も、極度のあがり症だと思っていましたが、

社会不安障害という病気があることを知って、

すぐに心療内科に予約をして診察を受けました。

 

そして、予想どおり自分は社会不安障害(SAD) と診察されたのです。

 

社会不安障害の症状チェック

これを読んでいるもあなたが、

もし極度のあがり症でしたら、

社会不安障害の症状をご自分でチェックしてみてください。

◆人前で話すと声が震える

◆人に見られていると仕事がはかどらない

◆他人の前で字を書くと手が震える

◆人前で食事をするのが苦手

◆人前で電話をすることが苦手

◆ 知らない人に電話をかけるのは嫌だ

◆人前で赤面する

◆緊張により汗をかく

◆初対面の人は苦手

◆知らない人のパーティーは苦手

このような症状が多い場合は、社会不安障害の可能性があります。

 

目安として、5つ以上当てはまるあなたは、

心療内科で診察してもらうことをおすすめします。

 

僕の場合は、6つ該当してました。

特に人前で手が震えたり、

声が震えることが恐怖でたまりません。

 

社会不安障害と仕事

緊張しないしない場所ではつらつとしている男性

卒業後、社会人になっても病状は一向によくなることはなく、

美容院で髪の毛を切ってもらっている間は緊張し、

歯医者では治療中震えてしまうし、

結局は美容院や歯医者にも行けなくなってしまいました。

 

 

また、会社で仕事を教えてもらう時って見られたりするわけですけど、

特に細かな作業は手が震えてしまうことがしばしばありました。

 

その後、転職して入社した会社で、

グループ長を任されるようになったのですが、

月に1回大勢の前で朝礼をしなくてはならなくて、

これが半端じゃなく苦痛でした。

 

ですので、

この時は自分が社会不安障害だなんて知りもしなかったので、

グループ長なんてやりたくなかったです。

 

時には、

ウイスキーをストレートで飲み、

ほろ酔い気分で朝礼をしたことも何度かありました。

 

他にも勉強会とかいろいろあり、

僕の心はクタクタになってしまいました。

 

 

しかし、仕事自体はそれなりに大変でしたが嫌いではなかったですし、

人間関係も良好だったのですが、

もう限界だったため退職しました。

 

 

普通は仕事が自分に合わないとか、

人間関係などで辞めるケースがほとんどですよね。

 

本当は、この会社を辞めたくなかったのですが、

僕の場合は毎日が別の意味で苦痛だったため辞めるという選択しかなかったのです。

 

この時は、もちろん辞める本当の理由は言えるはずもなかったですし、

適当に別の理由を言って退職しました。

 

この様に、社会不安障害は、会社を辞めざるを得ないほど、社会生活に影響を及ぼしてしまう辛い病気なのです。

 

そこで退職後、

僕はどんな職業だったら緊張する場面が少ないか考えました。

 

そして、ハローワークで職を探していると屋根工事(瓦屋)の仕事の求人がありました。

 

僕はこの仕事なら大丈夫だろうと思い、早

速面接を受けその会社に入社しました。

 

 

社員数は15人弱、大勢の前で朝礼などする必要もなく、

幸い細かい仕事ではないため手が震えることもありません。

 

ただ、職人の世界なので仕事ができるようになるまでは怒られてばかり。

 

そんなわけで、

違う意味での苦痛が2年くらい続きましたが、

極度に緊張するあの場面に比べたら耐えることができました。

 

それから、数年後に新聞で社会不安障害という病気があることを知ったのです。

 

僕が経験した社会不安障害の症状

大勢の人前でマイクを持って緊張している男性のイラスト

僕が今までに社会不安障害の症状がでて、恥ずかしかったことを書きますね。

1. 本を読まされると声が震え、声が出なくなった。

2. 朝礼で声が震え、何をしゃべっているのか分からなくなった。

3.会議で生産状況などを説明していると声が震えそうになった。

4. 品質改善発表会で超緊張!声が4、5回裏返った。

5. お葬式の受付で名前を書く時に手が震えた。

6. お線香をあげる時に手が震え、なかなか火がつかなかった。

7. 宴会の席でコップにビールを注いでもらった時に手が震えた。

8. 苦手な上司と話をする時に声が震えた。

9. 仕事を教えてもらっている時に手が震えた。

10. 美容院で髪を切ってもらっている時に体が震えた。

11. 歯医者で治療を受けている時に体が震えた。

12. 母の葬式の忌中の席で、お酌に周っていた時に薬の飲みすぎでふらついて歩けなくなった。

それでは1番から順番にどのような状況で、

僕がどのような心境だったのか説明しますね。

 

1. 本を読まされると声が震え、声が出なくなった

これは、冒頭でもお伝えしましたが、高校3年の時の国語の授業で本を読まされた時になぜか緊張して、声が震え出なくなってしまいました。

また、会社の勉強会の読み合わせで声が出なくなってしまったので、腹が痛いふりをして「トイレに行きたいです」と言ってその場から逃げたこともありました。

その他に少人数の研修会で資料を読まされた時も声が震えて、周りの人に「どうしたんだ?」という顔をされました。もう苦痛のみでした。

 

2. 朝礼で声が震え、何をしゃべっているのか分からなくなった

これは、20代半ばの頃ですが、僕はグループ長を任されたのですが、月に1度だけ60人くらいの社員の前で朝礼をしなくてはならない決まりがありました。

声は震え、何をしゃべっているのか分からなくなることがしばしばありました。

めちゃくちゃ恥ずかしかったことを今でも忘れません。

 

3.会議で生産状況などを説明していると声が震えそうになった

これも、週1で生産状況などを発表する会議があったのですが、声が震えそうになると、予定より発表することを割愛して終わらせていました。

 

4. 品質改善発表会で超緊張!声が4、5回裏返った

品質改善発表会は、親会社(大手上場企業)に行き、事業部長など偉い人達もいる前で発表したのですが超緊張しましたね。

マイクを持つ手が震えないよう、固定すように胸に当て、極力大きな声で発表していましたが、声が3、4回裏返りました。

この日のために時間をかけて資料を作り、逃げ出したい気持ちで臨んだ発表会でしたが、一緒に行った同僚に「マイクを胸の押し付けていて変だったとか、声が何回裏返るか数えていた」とバカにされ、お偉い事業部長は鼻くそをほっていたそうです。

こっちはどんな思いで発表していたと思っているんだ!あんたらは人前で話すことなど平気かも知れんけど、俺は恥をかかないように何度も何度も練習してたんだぞ!このバカちんどもが~!

 

5. お葬式の受付で名前を書く時に手が震えた

これは、1度だけ経験あるのですが、会社の事務の人の父親が亡くなり、代表で6人分の香典を預かりお焼香に行った時のことです。

受付で6人分の名前を書いたのですが、4人目くらいの名前を書き始めたころ手が震えはじめ、まともに名前が書けなくなってしまい、殴り書きのような字になってしまいました。

 

6. お線香をあげる時に手が震え、なかなか火がつかなかった

これは、2度の経験があります。知り合いの新盆でお線香をあげに行った時に、手が震えてローソクの火がなかなかつかなくなり、お線香を両手で持ち何とか火をつけました。

1件は近所のお宅でしたので、めちゃくちゃ恥ずかしかったです。

また、この時は薬を飲んで言ったのですが、おそらく薬を飲んでから時間が経たないうちに行ってしまったためと、飲んだ薬の量が少なかったことが緊張した原因ですね。

 

7. 宴会の席でコップにビールを注いでもらった時に手が震えた

これは、宴会などの時に乾杯前にコップにビールを注いでもらう時には、しばしば手が震えましたね。

そのため、コップを両手で持ち注いでもらうことで、手の震えないようにしていました。

 

8. 苦手な上司と話をする時に声が震えた

本社から2年間の出向で来ていた上司が期限を終えて本社に帰った後、僕が会社を辞めると聞いて電話をしてきてくれた時に、自分が社会不安障害で辞めるという理由が言えなくて、嘘の別の理由を話していた時に声が震えました。

この上司は課長だったのですが、本社でも1番厳しい人だと有名で、この課長についていけなくなった部下が何人も辞めているという事実がありました。

なかにはとても優秀な人でもノイローゼになってしまい、仕事がまともにできなくなったとも聞きました。

僕は2年間だけお世話になっただけだったので、その時は辞めたりはしませんでしたが、この上司の部下として無期限で働いていたら間違いなく心は折れていたでしょう。幸い僕の努力が認められて、気に入られていた事が唯一の救いでしたが、そのおかげでグループ長になってしまったのです。とはいってバカげたふりもしたくないですしね・・

 

9. 仕事を教えてもらっている時に手が震えた

新卒で入社した会社で、半田付けの作業を教えてもらっている時に手が震えました。

僕は思わず教えてくれている人に「見ないで!」と半分怒ったかのように言ってしまいました。

 

10. 美容院で髪を切ってもらっている時に体が震えた

僕が社会不安障害を発症してから、美容院に行くと緊張するようになりました。

特に耳の上あたり(横)をカットしてもらう時はぶるっぶるっと震えるのです。

それから数年は緊張しながらも、美容院でカットしてもらっていましたが、耐えられなくなり、遂に美容院に行けなくなりました。

それからは妻に頼んで髪の毛をカットしてもらっていましたが、だんだん頼みずらくなってきたところに僕が社会不安障害だと知り、薬を飲むことで、美容院院に行けるようになりました。

この時はめちゃくちゃうれしかったですね。

 

11. 歯医者で治療を受けている時に体が震えた

もともと歯医者は苦手でしたが、治療している時は緊張で震えてしまうことがしばしばありました。

ですので、虫歯になっても歯医者には行けませんでした。

しかし、ほおっておいたら、痛くて夜も眠れず仕方なく歯医者に行くのですが、毎回緊張してばかり。

前歯を差し歯にすると取れてしまい、そのままじゃ見っともないため、また歯医者に行かなくてはならず、苦痛でなりませんでした。

でも、薬を飲んで行くようになってからは緊張しなくなりました。

この時もめちゃくちゃうれしかったですね。

 

12. 母の葬式の忌中の席で、お酌に周っていた時に薬の飲みすぎでふらついて歩けなくなった

母の葬式では喪主であるため、緊張を和らげるため薬を大量に飲んでしまい、その影響でふらついて歩けなくなってしまいました。

そのため本来であれば、全員にお酌をするべきでしたが、5人くらいしかお酌に周れませんでした。

そして葬式も終わり、その後親戚が家に来たのですが僕は薬の副作用で爆睡してしまい、起きたらみんな帰ってしまったあとでした。

結局お礼を一言も言えませんでした。

でも、確かに失礼はあったかもしれません!常識がないと思われたかもしれません!しかし本音は「あ~ 終わったぁ~ 何とか乗り切った~」という気持ちのほうが大きかったですね。

こんな感じで、僕は社会不安障害であるために多くの恥をかいてきました。

その時の気持ちは自分を責めて嫌な気分になり、そんなふうに自己嫌悪してしまう自分をさらに嫌ってしまいます。

 

社会不安障害と人

社会不安障害の根本的な原因を探している男性

社会不安障害の原因は、

脳内の神経伝達物質であるセロトニンなどのバランスが乱れて、

不安を誘発しているとの説や、

恐怖や不安に関与する脳内の扁桃体が過剰に反応しているのではないかとの説がありますが、

いまだ本当の原因は解明されていないのが現状です。

 

それで、僕なりにいろいろ考えました。

 

その結果、自分は「人が怖い」ということに改めて気づきました。

決して人が嫌いではないのですが、

病気の症状以外でも僕が生きづらいのは人が怖いからなんだと・・

 

誰もが失敗せずに上手くやろうと思う根本的な理由は、

人から自分がどう思われるか気になるから。

 

思えば、僕は幼いころ人見知りが激しい子供でした。

それに、小心者ですしね。

 

僕が子供ころに、父に「幽霊が怖い」と言ったら「父ちゃんは幽霊なんか怖くない。

怖いのは人だ」と言っていた記憶があります。

 

その時は父がどうして人が怖いのか全く分かりませんでした。

 

でも、今はその意味が分かりました。

 

だって僕も人が怖いから。

とは言っても僕の場合は病的なものですけど・・

 

あの時、

父がどうして「人が怖い」と言ったのかはいまだに分かりませんが、

父なりに何らかの怖いと思った経験があったのかもしれませんね。

 

それで、なかには治る人もいるようですが、

本当のところは分かりません。

 

そもそも社会不安障害の人に会ったこともないですし、

いまだに僕自身も完治していないから!

 

ただ、2ヶ月に1度通院して毎日薬を飲んでいます。

そして、薬で不安や恐怖の気持ちが和らぎ、

恥をかかなければそれでいいのです。

 

だから僕は薬に依存してます。

だって今の僕にはそれしか逃げ道がないから。

 

なかには、

薬に依存するようになるのが心配という人もいるようですが、

そこでまた「薬に依存するようになるのでは?」という不安を自分自身でつくってしまっているわけです。

それじゃあ、きりがないですよね。

 

でも、薬に依存したくないという気持ちは僕にもあります。

 

ただ、毎日薬を飲んでいますが、必要以上は飲まないようにはしています。

 

 

社会不安障害を理解してもらえない

理解してもらえないで落ち込んでいる男性の画像

 

僕が初めて心療内科に行き、

自分が社会不安障害だと診断された後、

そのことを妻に話しました。

 

しかしながら、

妻は「それは誰も緊張することはあるよ」と言うだけで長い間苦しんできた僕の気持ちを理解してはもらえませんでした。

 

 

それで、何がいちばん悲しかったというと、いちばん理解してもらいたい人に理解してもらえなかったこと。

 

僕は「それは辛かったね!早く治るといいね」と言ってほしかった。

どうして理解してくれないんだ!このバカちんが~!

 

それからは特にあえて社会不安障害の話を妻にすることはなかったです。

 

でも、通院して薬は毎日飲むことだけはしっかりと続けてますし、

例え妻にこの病気のことを理解してもらえなくても、

辛いのは僕自身なのだから、

自分のことは自分が守るしかないと割り切りました。

 

それで、数年後に理解してくれたのが姉でした。

姉は電車で通勤しているのですが、

乗っている時に不安を感じてしまうと話してくれました。

 

姉が言うには過呼吸になりそうになったことがあったそうです。

これは、パニック障害の部類に入るかと思います。

そのため、わざと電車では眠るようにしているそうです。

 

 

眠ると不安を感じないので、

電車で眠れるようにわざと夜は少し遅い時間に眠るようにしているようです。

 

また、電車に乗っている間にトイレに行きたくなったらどうしようという不安で、

電車を乗り換えるたびにトイレに寄っていたこともあったそうです。

 

ですので、

僕が社会不安障害だと話すと理解してくれましたし、

不安になる内容はお互いに違いますが、

同じ不安症とういうこともあり、

僕も姉の気持ちを理解できました。

 

 

社会不安障害は年齢が十代後半に発症するケースが多いというデータがあります。

 

実際に僕も発症したのが17歳の時でした。

 

日本人の10人に1人はこの病気に悩まされ、

社会生活に影響を及ぼしています。

 

もし、あなたが極度のあがり症でしたら、

まずは心療内科に予約をしてください!

ほとんどの心療内科は予約が必要ですからね。

 

心療内科は精神科ですので、

初めて行くときは抵抗もあるかと思いますが、

社会不安障害の場合は自力で治すことはとても難しい病気です。

 

僕は社会不安障害という病気を知る前は極度のあがり症だと思っていましたが、

実際に自分がこの病気であることを知った時は正直ほっとしました。

 

なぜなら、

あがり症なのは自分の性格のせいではなく、病気のせいだったから。

 

 

さて、話は変わりますが、

僕は現在工場の設備警備の仕事をしています。

 

この仕事は3交代勤務ですが、

1人ですので緊張する場面も少なく、

人ともあまり関わらないため、

かなり気楽ですから社会不安障害や対人恐怖症の方には向いている仕事だと思います。

 

 

そんな理由で僕は社会不安障害の辛い毎日から少しでも解放されたくて、

この仕事を選んだわけです。

 

しかしながら、

給料が手取りで15万円程なので生活はかなり厳しいです。

 

そこで僕は副業でブログ運営をはじめました。

ブログはパソコンとネットにつながる環境、

そして年間1万5千円程度の資金ではじめられます。

 

そして現在は月に30万円程度は稼げるようになれました。

 

ここまで稼げるようになるまでに1年半程かかりましたが、

そのおかげで心にもゆとりができました。

 

 

社会とつながっていたいという思いがあるため、

警備員の仕事は続けていますが、

もし続けられないようであればいつでも辞めればいいと思っています。

 

そう思えるようになったのも、

ブログからの収入があるからです。

 

確かに最初はこの病気を克服しようと思っていましたが、

通院してから10年は経つのに治る気配がありません。

 

この病気を治すための治療は薬と認知行動療法を併用することが一般的ですが、

僕の場合は認知行動療法はやらず、薬だけを服用しています。

 

 

そして、これら両方の治療をおこなっても必ず治るとは限りません。

ですから、

僕は薬を服用することで緊張する場面を乗り切ってきました。

社会不安障害や対人恐怖症を克服するには、

この病気と正面から向き合わなければなりません。

 

しかしながら、

僕はあえてこの病気と正面から向き合うことをやめました。

 

なぜならば、

社会不安障害者や対人恐怖症の人を苦しめる場面から逃げ道をつくることで、

治るかどうかもわからないこれらの病気から限りなく解放されるためには、

自分の力でお金を稼げるようになることのほうが現実的だと思うようになったからです。

 

つまり、治療に専念するエネルギーをブログ運営に注ぐことで、

この病気の辛さから解放されることに成功したのです。

 

ブログは在宅でできるので、人前で話すこともないですし、

わずらわし人間関係もなくなるので病気の症状がでる場面が皆無に等しいです。

 

また、ネットがつながる環境さえあればどこでもできます。

僕はまだまだ収入は少ないですが、生活には困らなくなりましたし、

何より毎日がすがすがしい気持ちでいられることがとってもうれしいです。

 

現在は設備警備員の仕事が本職ですが、

もし続けられなくなった場合はいつでも辞められるという軽い気持ちでいられます。

 

こうして僕は、安心と自由とゆとりある人生を手にすることができました。

ひびきのちょっとした情報

■小さい頃:人見知りの激しい子供だった。

■長野県出身

■身長が超低かった。高校入学時で150cm。

そのために、悔しい思いも沢山したが、幸い良い友人達に恵まれていた。

かなり悩んだ時期もあったが現在は175cm。

■高校ではバレー部に所属していたが、身長が低いためネットから手が出なかった。

当然スパイクもうてるわけもなく、レギュラーにはなれず、みじめな思いをしていた。

高3の時に社会不安障害を発症、この日を境に病気との長い苦しみが始まる。

■高校卒業後、1度目の転職先で製造業で働きグループ長を任され60人くらいの部下がいた。

しかし、社会不安障害が原因でやむを得ず退職。

■25歳で結婚。2人の息子に恵まれる。

■社会不安障害での症状が出にくい仕事を探し、30歳の時に職人の世界に転職。必死に努力して総括長を任される。

数年後に自分が社会不安障害だと知り、治療が始まる。

■その後、社長の理不尽な言動で喧嘩をし、これを機に自分の夢を叶えたく独立。しかし、トラブル続きで閉鎖。

この辺りから人生が狂い始める。

■その後、再度就職したが、ブラック企業で半年で退職。

■現在は設備警備の仕事と副業のブログの収入で生活には困らない安心とゆとりある生活を手にしました。